1サラリーマンが偉大な企業を創るまで

ただの元野球バカだった1サラリーマンが、偉大な企業(真の多国籍企業)を創るまで、日々奮闘するブログです。生々しさを大切に、ありのままの自分を毎日さらけ出していきます。自分で稼ぐ力を身につけるために、副業も同時並行で検討&実行します。モノづくりはモノがたり。we are all makers.

なぜ、偉大な企業を創りたいのか

ブログ開設のご挨拶で書かせて頂きました

偉大な企業を創るという夢をなぜ私が持つようになったのかといいますと、

自分の出自に関係してきます。

 

それはとある日でした。

大学2年生の夏、オリンピックで行われていた野球の日韓戦を

見ていた時に、珍しく真面目なトーンで母親が

「大切な話がある」と切り出してきました。

こんな真面目なトーンで話してきたことは今までなかったので、

私も神妙な面持ちで母親のほうを向くと、

 

「気付いていると思うけど、あなたは日本と韓国のハーフなのよ」

 

と言われました。聞いた瞬間は理解が追い付かず、

「えっ、どういうこと?」という心の声が一瞬で数十回脳裏によぎったあと、

落ち着き、出てきた言葉は「えっ、そうなんだ!」と上ずった一言でした。

自分が日韓のハーフだなんて全く気づいておりませんでした。

その場では嬉しいというリアクションをしました。

なぜなら、知り合いの小学生低学年から日本に住んでいる中国人が、

アイデンティティに悩んでいるときに、

「日本と中国の両方に強く関心が持てるってとても素晴らしいことじゃないか」

と言ったのは自分であり、本心だったからです。

まさか自分がそうなるとは思っていなかったけれど、

それなら素敵なことじゃないかと自分に言い聞かせていました。

 

しかし、その考えとは裏腹に、

その日のうちに自分のアイデンティティは崩れていきました。

 

「日韓のハーフってどういうことなんだろう」

「20歳になるまで自分のことを知らなかったなんて・・・」

「韓国人ってどんな人?在日韓国人ってどういう人?」

 

国際政治専攻ということもあり、翌日から日韓の政治や在日韓国人の文献を

調べましたが、モヤは晴れません。

そこから実際に韓国人の現役の大学生と学術交流する団体に入り、

多くの韓国人に会いました。そこで竹島・独島問題の議論をしたり、

靖国神社を見せてみたり、逆に韓国の独立記念館を見に行ったりと、

深い交流をしました。

お互いのバックグラウンドがあり、完全に分かり合うことができない

相反する部分もありましたが、そういう違う文化や歴史を過ごした人通しが、

人としてお互いを尊重し、多くを理解し合えた体験はとても感動的でした。

 

そこから日韓のハーフというどちらにも寄っていない中間の存在だから、

国に関係なくフラットな関係を築き、同じ目的をもって協力し合えることが

したいと思うようになります。

様々な方法でそれは成し得ることだとは思いますが、

一番実現性が高そうなのはビジネスだと思いました。

そして、多国籍企業を創りたいと思うようになりました。

しかし、実際に多国籍企業と言われている企業のほとんどは、「HQの指示に従う複数の国に存在する支社」という構図でした。

 

これは私の望む多国籍企業の在り方とは遠く離れており、

HQが現地の国に対して理解が浅くても、意思決定をするという姿でした。

 

長々とお話ししましたが、私が目指しているのは現地の会社に意思決定をゆだねた

真の多国籍企業を創ることであり、それが偉大な会社だと思っています。

 

次回以降は憧れるビジネスマンである祖父のお話や、実際に有名なビジネス本を取り上げて、実践していくお話ができればと思います。

 

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